AIが何を代替しようとスポーツは終わらないという話
AIがコードを書き、デザインをし、文章を生成する時代になった。でもスポーツは終わらないだろう。なぜなら、それは単なるエンタメではなく、人類の余暇活動、文化活動そのものだから。
スポーツは文化か?
そもそも世の中の人々は、スポーツを文化として捉えているんだろうか。音楽や美術は文化として扱われる。演劇も映画も。
でもスポーツは?なぜかいつも「娯楽」として片付けられる。
人間の本質的な欲求、争いたいという根源的な衝動を、戦争のように危険ではない形で昇華できる。それがスポーツなんじゃないのか。闘争本能を満たしながら、他者を傷つけない。そんな稀有な活動領域。たぶん形を変えながら数百年後、数千年後にも残り続ける営みだ。その頃に人類には身体があるのかは不明だが。
過小評価されている現実
それなのに、この業界はデジタル化から取り残されている。
一億総クリエイター時代と言われて久しい。音楽はSoundCloud、動画はYouTube、写真はInstagram。個人の創作活動を記録し、共有し、蓄積するプラットフォームは溢れている。
なのに、なぜスポーツの記録一つまともに残せるプラットフォームがないのか? 現在そこに取り組んでいるのは一部のローカルメディアやブックメーカー、個人の趣味の範囲である。草の根のアマチュアから無名のアスリートまで、その活動を一元的に残せる場所はない。トップティアの記録だけが公式に残り、それ以外は紙の記録か、誰かのスマホの奥底に埋もれるだけ。
当たり前だが他の文化活動や生活における様々なデータ、テストの点数も、GPAも、マイナンバーも、お薬手帳も、キャリアも、全部デジタル化されてる。なのになぜスポーツだけアナログを強いられるのか?金にならないから?市場が小さいから?
つまり、資本が投入されていない。つまり、過小評価されている。この不条理への憤りが、自分を突き動かしている。
誰もやらないなら
大手プラットフォーマーが本気で進出していれば、もっと早く変えられていたはずの現場。でも誰もやらない。金にならないから?市場が小さいから?
じゃあやってやろうじゃないか、という気概で動いている。
有名無名問わず、アマチュアもマイナー競技も含めて、スポーツ業界を横串で。LinkedInレベルに一気通貫したプラットフォームを作る。音楽だけ、動画だけ、経理だけ、AIだけ、好きにやればいい。でもスポーツには特殊なデータがたくさん溜まる。それが蓄積できない現状を、変える。
チャレンジできる余白
次に来る産業なんていくらでも語れる。エネルギー、半導体、量子ネットワーク。それなりに量子的な世界も理解してるし、物質の化学的素性も知ってる。将来的にはそっちにも貢献したいと思う。
でも、みんながやっていることをやっても楽しくない。
なぜか”できる”のに誰も”できていない”領域。そこにこそチャレンジの余白があるように見える。大衆がやっていることにだけ乗るなんて誰でもできる。
異質な存在、一寸先は闇の世界。そこに飛び込める人間だけがいればいい。
スポーツという文化を、次の時代へ持っていこう